ラベンダーの色
優しくされた経験がわたしにはない、
って思っていたけれど
それは誤りで、
これまでいろいろな人に優しくされてばかりだった。
ほんものの優しさもあった。
にせものの優しさもあった。
それは旅先でも同じことだった、
つらいことも
いっぱいあったけれど、たとえば、
北海道でログハウス風の宿のとなりの部屋の声がうるさくて、
あざわらうかのように響いて、
星空を撮りに宿をとびだしたりしたけれど、
翌朝タクシーが迎えにきて
狭く心地いい空間に守られたときには
心底ほっとして思わず泣いてしまいそうなぐらいだった。
タクシーは丘のあいだの小道を、あちこち美しい景色のなかを走ってくれて、
交通事情が許すかぎり
撮影のためクルマを止めてくれて
そうしてたどりついたのが、むらさきの丘。
咲き初めたばかりのラベンダー畑が向こうの森のほうまで広がり、
風に吹かれては淡いむらさき色のさざなみをつくり、
わたしはそのとき
初めてほんもののラベンダーの香りを
乾燥されても加工されてもいない生きている香りを知ったのだった。
いま街にいて、
ラベンダーの香りをかぐことはできないけれど、
巣をつくるツバメたちの微笑ましいすがたを目にした、そんな最高の休日の夜に
お風呂に入れば、
浴槽のなかに垂らした入浴剤のしずくが
ラベンダーの残り香を伝えている。
その香りにつつまれながら、心地よい思い出にひたったのもつかのま、わたしは早くも
つぎの旅行の予定を見据えはじめている。
好意ある相手に優しくすることはとてもたやすいが、
そうでない相手にはそれはむずかしいし、そもそも優しさを安売りしたくない。
それでも余裕のあるときなどは
気が向いて
義理も大切にしようかと優しくふるまうこともある。
そんな気まぐれなわたしを受けとめてくれて、ときにほんものの優しさをくれた旅先のひとたち、
これまで出会ってきたひとたち、
気がつくと、わたしにはかけがえのない経験があふれていた。