受容にも似た

2022年02月09日

悲しいときは酒を飲む。

いつか恋人を失ったときなどは、年甲斐もなく、

ふらふらになるまで酔っぱらった。

二階の台所で飲んで、

酔い覚ましになにかべつの物を飲もうと

階下におりていくとき足もとがあやしかったくらいだ。

いつも飲むのはシェリー酒。

スペインの本場では辛口が好まれるものらしいが、

わたしはイギリス流に甘口を好んで飲む。

甘くねばっこいシェリー酒の、とくに上等なやつは

ごく親しい男のくれる口づけの濃くてまとわりつくような感じに似ている。

いまは冷蔵庫から切らしている。

なんとなく一本、空になってから何ヶ月かのあいだ買っていない。

悲しいときは酒を飲むかわりにうたう。

温室の花たちのところへいって悲しい歌を聴いてもらう。

どの花も好きだが、

とくに深紅のシクラメンは

わたしの嘆きをしずかに受け入れてくれる優しい花だ。

吐き出された思いはしずかに温室に溶けてゆく、

少しだけましな気分になる。

よく眠り、朝、起きたら陽光が眩しかった、

なんとなく今度は明るい歌でもうたってみようかという気になった、

前向きな、虹をつかむような歌を。

悲しい出来事が解決したわけではないのだけれど、いまはつかのま忘れていよう、

じぶんでつくっておいた歌を頭のなかで練習しながら

冷蔵庫を開けて、つめたいシェリー酒を飲むべく置かれっぱなしになっているシェリーグラスをとりだす。

酒を飲むためではない。

なんの飾りもないが小ぶりで品のいい、少量の酒を飲むためのグラス。

花を生けるのにもうってつけだ。

いまは使われないシェリーグラスの有効利用を思いつく。

いまは、いまのところは使われていないそれ。

油絵の先生がよくそうしていたように、透明な水を張ったグラスに一輪シクラメンを生け、

それから数枚の葉で花の足もとを支える、

燃え立つような花一輪、ちょっとしたオブジェ、窓辺にそっと置いてやる。

紫のちらちらと瞬くハーデンベルギア、

何ともいえず格好のいい黄水仙、

深紅のシクラメンより少し小ぶりな、濃いピンクと白のマーブル模様に混ざり合ったシクラメン、

どの花も愛しているけれど、

いま生けたこの炎のシクラメンは格別だ、

その燃えさかる色をわたしはどういうわけか愛してやまない、

あなたに、この歌を聴いてほしい。

窓枠に置かれたグラスのなかの花は世界を見渡している。

背の高いグラスに生けられたそれはまるでバレリーナのように爪先立ちだ。

歌がこぼれてくる、わたしはほのかな明るい兆しを歌にそそぎこむ、

わたしの受け取った陽ざしのひとかけらを、こんどは形にして花と分かち合うために。

花はしずかに聴いている。

もしかしたらこの先も、つらくてたまらなくて

シェリー酒を買って冷蔵庫にストックすることがあるかもしれない。

その栓を抜いて甘くてねとつくアンバーの酒に

ひとときの忘却をもとめることがあるのだろう、きっと。

けれど、そのときまでシェリーグラスに、ひとときの休暇を差し上げよう。

いまグラスは水をそそがれて、透きとおる笑みを浮かべている、

燃え立つような花を生けられて。