激しめの音楽
何だか調子がわるくて、
ずっとベッドのなか独りで音楽を聴いていた。
悲しい感情と波長の合う曲を
選んではiPodで鳴らし、それを繰り返し。
激しめの曲を最初は選んでいたが、
聴き疲れ、
さいごにはフェードアウトするように静かな曲になり、
曲たちはごちゃごちゃになって頭のなかで粉々に散らばって、
ホワイトノイズの中に埋もれていくような混濁とした感覚に飲み込まれていった。
すべてに飽き飽きしていた。
体調がわるいせいで旅行できないことが引き金となって、
あらゆる暗い思いに囚われていた。
彼女がやってきた、
ひとりきりの部屋に明かりを灯すかのように。
わたしは、なにか話をして、と頼んだのだけれど、彼女がほんとうにつまらない話をしたので、
つまらないからやめて、と正直にいい、
さきほど聴いていた音楽をこんどは一緒に聴こうという気になった。
音を出してiPodを鳴らした、暗い思いを分け合うかのように。
わたしたちは、つかのま、アグレッシブで
魂の叫びにも似た、けれど美しい旋律のヘヴィメタを共有した。
共有できたことでいくぶん、というか、だいぶ気分はましになっていった。
やがて曲が終わった。
何て言っているのか聞き取れない、と彼女がいうので、
わたしはあらかじめ調べてあった歌詞をおしえた、
井戸の底で鎖に両手首をつながれて投げ込まれていて、ひたひたと水が満ちてくるのを感じる、と。
死にたい、って女の人の叫びが男性ヴォーカルに混じって聴こえる? といったが、
わからないと彼女はいい、
でも暗いだけではない何かを感じる、という。
わたしは、死への願望はアンチテーゼとしてあるけれど、
生への願望がその底にあって、
暗い欲望のようなものを経てはじめてそれは、より良いものになるのではないか、といったら、
彼女もうなずいた。
いつだって彼女はこういった曲に共感を示してくれ、それを受け入れてくれる。
ホワイトノイズの中に埋もれていくような孤独のなかから
つかのま自由になれたのをわたしはそのとき、かすかに感じていた、
共有された悲しみはもはや悲しみではなく、より良い生へと至るための梯子なのだから。