萩の庭

2022年09月16日

その庭園はどこか

ふるさとの面影をたたえている。

初秋の風、

はんなりと吹きすぎれば

小さくこぼれる萩の花、

ゆられて大気の流れゆくまま身をまかす。

どちらへ行こう、

萩のトンネルはまだ見頃を迎えていないようだ、

わたしはそちらには行かないで

トンネルの外の見頃の萩を撮ることに夢中だ。

水辺のほうでは

対岸に彼岸花が一輪たっている。

近くを見ると

茂みにかくれるようにして二輪ならんで寄り添っている。

ひとつは丈が高くしっかりしていて、

もうひとつは背がひくく

頼るようにもたれるように咲いている。

それからこの趣ある庭園の全景を収めずにいられない、

小花にかすむ木の幹や、ノカンゾウの小道の茶室へとつづくさま。

ベンチで画像のチェックをする、

だいたい撮れるところは撮ったかな、萩のトンネルに寄るだけ寄っていこう、

わたしは緑に天をおおわれた小道を分け入っていく、

この緑ぜんぶ萩だ。

満開にはまだ早いけれど、ところどころ花をつけている。

やわらかく包まれる感覚がする。

微妙にカーブしているので出口は見えない、

この先にあのひとが待っていればいいのにと夢見がちになるが、

開けた視界に出ると

すれちがったのは熟年のカップルだった。

この庭園はどこか故郷をおもわせる、そういえば故郷ってどこだろう、

ずっと同じ街に住んでいるから

あえてそう呼ぶ場所があるとすれば、それは

地方に旅行にいって田舎の風光明媚な風景に出会ってそれを写真に収めるとき

それらしきものを感じる。

故郷って、きっとそれはどこでもない場所。

どこにもない、どこかにあるかもしれないそんな場所。

優しい手にさしだされたお茶、

親しい相手のかけてくれるなにげなく気遣いにあふれた言葉のきれはし、

自然のうつくしさに感動する瞬間、

そういったものに

かろうじて見いだされる。

どこか特定の場所というより、ひとのこころに宿るもの。

この庭園だってそうだ、こぼれる小さな花たちがどうしようもない懐かしさを呼び起こす。

帰っていけるようなそんな感覚。