キンミズヒキの種

2022年09月25日

キンミズヒキの種が

衣服にまといつくようになった。

茂みのおくに

サザンカのつぼみの具合を見にいくとき、

すごくひっかかりそうだ。

いっそのこと、

配ってしまおうか。

ご自由にお持ちください、と

書かれた札とともに

ご近所の駐車スペースのわきにまれに花の苗が置いてある。

そこで迷子のカメを見つけたっけ。

保護したが、

飼い主さんが見つかり、いったん返したものの

どうしても忘れられずに頼みこんでゆずってもらった、それが

他でもないカメノちゃんだ。

庭に特注で建ててもらった小屋がお気に入り。

気が向くとスロープを上がっていき、すのこのうえで甲羅干しをしている。

ごくまれに、

散歩につきあってくれる。

その日わたしは良い写真がとれずにがっかりして帰宅した。

でも、そんなとき

カメノちゃんがお散歩につきあってくれた。

いっしょに庭をあるいて

木の茂みのところでポーズなんかとってくれて、

いつもこんなふうに

カメノちゃんはわたしに幸せをくれる。

部屋でわたしは写真を整理してにまにましながら、

好きでよく聴いていたのに

長いこと放りっぱなしだった女性ヴォーカルのアルバムをとりだして聴く。

歌詞のフランス語はほとんどわからない。

でも、語りかけられている感じがするというか、

きっと動物も

ひとの言葉をきいていて

そこに何がしかの感情や感覚をみてとるのだという気がする。

その上質な響きに

聴きほれながら湧きあがってくる喜びを抑えきれず、

でもその喜びはじつは

わたしひとりの喜びでしかないのだと知るとき、少し水をさされそうになるが、

庭にキンミズヒキがたくさん種をつけていて

それを配ろうと思い立つ。

ご自由にお持ちくださいという

札をつくって

つみとったタネといっしょにカゴに入れて、

それを自宅の駐車スペースのわきに置き、誰かもらってくれるひとがあればいいのにと

期待して待つ。

分けられる幸せはわずかなのかもしれないが、

あるいは、花は種からはうまく育たないのかもしれないが、

いっしょに花咲くときを

待ち望んでくれるひとがもしいるのなら、いや、たとえけっきょくは近所にいなかったとしても、

わたしは来年またキンミズヒキがまぶしい花を咲かせるのを

夢見つつ待っていたい。