夜空には

2022年08月28日

なぜだろう、涙がこぼれる、

良い夢をみたあとで現実に立ち返ったときのよう、

旅のおわりは

まるで、旧友と再会して懐かしさにひたっている最中に

夢から覚めて現実に戻ってきてしまったような感じ。

目が覚めたことを

後悔さえするようなそんな良い夢のよう。

でも、夢の内容はよく思い出せない。

ケーブルカーに乗って森の写真をとりながら山へと分け入っていき

終着駅でこんどはハイブリッドのバスに乗り換える。

霧につつまれた深い森が

進んでゆくにつれ、しだいに

草と石ばかりの荒地へと変わっていき、そして、

眼下に雲がひろがり、

いくつものカーブを越えてバスは目的地へと到着し

わたしを降ろして走り去る。

高嶺に咲く花たちと晴れゆく霧、稜線がしだいにあらわになっていく、

雲がそのヴェールをすっかり山からとりはらってしまうと、

ごつごつした岩のエッジが空に刻まれる。

それらが恋しいのだろうか。

もちろん、それもあるのだけれども

帰りのケーブルカーを降りて、待っていてくれたタクシーに乗り込むとまるで

旧友のようにあれやこれやと話しかけてくれる。

会話のとぎれる間もほとんどないままに、

山からこんどは市街地を抜けて海辺へとやってくる。

ローカル線の踏切を渡ったところに

義経と弁慶ゆかりのほこらが立っているとおしえてくれ、塚には松が生えていた。

海に流木が漂着していた。

それをカメラにおさめ、展望台にのぼったところで、

しばらく待っていると踏み切りが鳴り出した。

電車が来るということだ。

どちらから現れるのだろう、カメラをすでに構えているひとがいた、

そうか、あちらから来るのか。

最高のシャッターチャンスになった。

いまね、ちょうど電車が来てね、わたしは運転手さんに報告する、

良い写真がとれたと報告する相手がいる、

それはまるで打ち上げ花火が弾けるようなつよい喜び。

そのあと、おすすめの店でステーキを食べる、

いっしょに食べて美味しいと言い合える相手がいるということは何ていいのだろう。

そんな眩しい時間は夜空の向こう。

打ち上げ花火が夜空にあがっては消えていき、

そうしてさいごの光が

余韻をのこして消えるとき、夜空にはなにが残るのだろう。

寂しい、寂しい、寂しい。

しばらく感情の波に身をまかせ、それから一期一会の出会いがこれからも待っているかもしれないと

やっと前を向いて、先のほうへと目をやりはじめる。

つぎの旅行もじつはほぼ計画してある、

そこでも景色との、人々との出会いが待っているといいとつよく願う。