新緑
2022年04月06日
花は咲き、そして散っていく、
でも、ほんとうの祝祭はこれから始まるのだ。
桜が満開のときをわずかに過ぎ
神社のお堂に
うっすらと花びらが散り敷いていた。
やや盛りを過ぎたがそれでも桜の木はそびえ、
花霞を小さなお堂のうえになびかせていた。
家に帰って庭を眺めれば、
楓の木が
小さな赤ちゃんの手にも似たあどけない葉っぱを
今まさに広げようとしていた。
若々しい葉がたくましく茂るのもじきだ。
木は働いて栄養をつくり
夏の日差しと雨とに育まれて
少しずつ幹を堅牢なものにしていって、そうして、日差しが弱まっていく秋には
その役目を終え、もういちど生まれたときと同じような眩しい色になって、
地面を彩る。
ときには虫に食われることもあるかもしれない、けれども、
その限りない豊かさと包容力でもって、虫をも養い、小鳥に羽根を休めるための枝を与え、
お礼に小鳥たちはきれいな歌を聴かせてくれるだろう。
そのあいだも木の営みはつづく。
夏に葉は大忙し、来るべき冬のことなんて考えない。
植物とは、自然とはそうしたものだ、
限りある今を生きる。
こずえにひかりを受けて根に水をいきわたらせ
少しでもたくましく
少しでも強くなろうとする。
そんな木の幹にためしに手を置いてみるといい、確かな温かさが感じられるはずだから。
冬でも夏でも変わりなく木はそこに立ちつづけているから。