楽園

2022年05月08日

もし、わたしが持てるすべてを手放して

どこか遠く、行ったら帰ってこられないような場所に

行ってしまうとしたら、

そのときは、わたしのこのもはや動かない体を

庭の土のなかに埋めてほしい。

そうして黒い土にいだかれ朽ちていって、

分解され木や草たちの栄養分となって庭をつつましい花で彩るための

つつましい糧になってほしい。

血は湿り気を含んだ温かな土壌に吸いこまれ、

体は地をいだくように横たわり、

でも、その有様を飼っている大切なカメには見せたくないから

カメの小屋から少し離れたところにしてほしい。

それでいて、近くにいていつまでも見守れるような距離がいい、できれば。

きょう、カメのところにごはんを持っていったら、カメは

日光浴用のすのこの上にいて、

入り口のほうを向いて金網のとびらにぴったりとへぱりついて、じっとしたまま

片方の手を網目にちょこんとひっかけたまま、ずっとそうしていた。

カメの名を呼び、開けるよ、といったが、

手を放してはくれず、少しずつ少しずつとびらを開けてやっと爪が金網から放れたのだった。

とりあえず水換えとごはんだ。

よく食べ、機嫌よさそうだったので、思い切ってお散歩にさそってみた。

ヤツデのふもと、竜のひげの茂みがちょっと途切れたあたりに

いつもの場所に出してやると

わたしはカメラを構え少し遠くに立ってカメに向かって、こっちにおいで、と呼びかける。

が、カメは視野からはずれて茂みのなかへ入ってしまった。

と思ったら、ゆっくりとあるく向きを変えて、

近づいてきたのであわててカメラを構える、そうするとカメは、

絶妙の角度で近づいてきて絶妙のタイミングで頭をもたげたまま静止し、

わたしのためにポーズをとってくれる。

ツワブキの大きな葉のあいまからのぞくきょとんとした姿がじつに愛らしい。

ひとしきり撮って、

わたしもカメもお散歩に満足したころ、

カメの甲羅を手でもちあげて

飛行機のように一直線に小屋に運んでやり、水槽に放つと、勢いよく水にダイビングしていった。

わたしは撮らせてくれた礼をいって小屋のとびらをゆっくり閉める。

小屋のまわりには

白い素朴な花たちがカメのいる場所を囲むように咲き乱れ

そこはまるで原初の楽園と呼ばれる地であるかのようにわたしの目には映った。

楽園、ひとが分岐を進むまえの。

いつか帰っていけるとされている場所、それでいながら、

そのじつ、二度と帰っていくことはできない場所。