温泉宿

2023年03月08日

湯上りに部屋の広縁にこしかけて

窓のそとの椿を見やる。

好きなひとと話をするときは

相手をじぶんの土俵にひきこむといいよ、と

かつての夫がおしてくれた。

ねえ、美について語りたいんだ、

真の美とは何かってこと。

たとえば花、

はかなくてすぐに散ってしまう短命なもの。

でもその美しさを人の手でつなぎとめることはできる。

名画もいつしか風化するから

永遠の命というわけにはいかないけれども

そのものが持つ命よりもはるかに長い命を持つことができる。

人間の存在理由ってそういうものにあると思うんだよ、

自然はそのままで美しいけれども

でもそれだけでは

美はすぐに失われてしまう不確かなものでしかない。

それを見いだす人間がいてはじめて

美は完成される。

哲学は正しいもの、実在するものを追い求め

それがまた科学、ひいては物質文明を生んだのだけれども

たとえば哲学はりんご、あらゆる物体の本当の色を求めようとするだろう。

でも油絵の先生がいっていた、

白い壁を白く描くひつようはないんだ、

もし白のなかに例えば青や茶、ほんとうはそこにはないはずの色が見えてくるなら

それを描いたっていいしまた描くべきなのだと。

白い壁に青や茶色が見えたとする、

それは錯覚かもしれないし哲学的にいえば本当の色ではない、

あるいは嘘、と呼ぶべきものかもしれない。

貴方とわたしがいる存在理由、

それはそのような嘘のなかにこそあるのかもしれない。

河津桜を見るため伊豆までやってきた。

どこかひなびたのどかな景色のなかに佇む、ひときわ可憐で色の濃い桜は、

すでに葉桜になりかけていた。

それでも足もとに眩しく菜の花を浴びて川岸に枝を伸ばすその桜は

わたしのカメラに刻まれ、

またわたしの記憶にも刻まれるかもしれない、

宿で出された海の幸の御馳走や、露天風呂の湯けむりや、

あるいはこの木造の居心地のいい部屋の空気をともなって。

わたしは家族や他の人に旅の話をするだろう、語り、それを共有するだろう。

帰ったらまた電話していいかな?

そして、こんどは貴方の話がききたい。

知識の話やさいきんの動向なんかを聞かせて欲しい。

貴方の知っていることを分けて欲しい、わたしの感じたことを伝えたい、

こんなにも異なっているわたしたちだけど、ねえ、意外に長続きしそうな気がしない?