2022年08月27日

街が脈打っている。

路面電車が駅前にとまって、

乗客をのせては

ゆっくりと走り去っていき、

品のいいそのすがたを街並みの向こうに消していく。

どっしりしたバスもまた人を運んでいき、

そのあいだをぬって

車もまたそれぞれの目的地へ向かっていく。

交差点で人が行き交う。

ビジネスホテルの一室からそれを眺めている。

狭い部屋で自由について考える。

理性を持つものだけが自由であるといわれているが、じゃあ、

野生動物の

あのなにものにも縛られないうつくしさは何だろう。

人の欲望はみにくく映るが

蝶が蜜を吸いたいと願うような欲望は

なぜうつくしく映るのだろう。

おそらくそれが限られたものであって多くを求めるものではないからだ。

朝、家を出るとき

庭先に漆黒のアゲハ蝶がしろいランタナの花にとまっていた。

そのなんと身軽でうつくしいことか。

だんだん日は暮れてゆき

多くの車がテールランプをつけるようになり、

丸い街灯にあたたかに明かりがともり、

暮れゆく街のうつくしさもいっときのこと、

カーテンをもういちど開けたときにはネオンがどぎつい色をさせていた。

なんとなくさびしい街だと思った。

何故そう感じたのかはわからないけれども、

自由を失った人間は少しも孤独がましになった気がしない。

それから人通りも絶え

駅前のロータリーはがらんとした感じになった。

人々はそれぞれの家に帰るのだろうけれども、ほんとうの意味で、

人に帰れる場所などないのだ。

わたしたちがこれまで辿ってきた分岐を

引き返すことはできない。

人が文明を捨て去ることは不可能に近いだろう。

だとしたら、文明による地球規模の崩壊にどのように立ち向かえばいいのか。

いったいわたしたちはどこへ向かうというのだろうか。